#dynamic_Nagasaki

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雲仙 普賢岳の噴火から30年 その2 がまだすドームとみずなし本陣 水無川下流域を見る

前回の記事では水無川の上流にある地点を紹介した。水無川自体は確かに川のように線状に窪んだ土地となっているものの、平時には水の流れをみず、火山砕屑物の流れたものが見られ、ゴツゴツとした印象を与える。

今回は、より下流で、河口部分に近いがまだすドームとみずなし本陣について紹介する。

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雲仙普賢岳の頂上にできた平成新山の一部、溶岩ドームは今後も崩壊の恐れがあり、これに連なる堆積した火山砕屑物が谷を埋め尽くした部分でも新たな土石流の発生が危惧されている。30年経ったとはいえ、まだ地面は安定化していない。

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がまだすドーム

2002年に完成した雲仙岳災害記念館である。割合新しいスポットであり、水無川の上流の木々のしげる中から出てくると、空が大きく、ぽっかりと空いた空き地であり、どこか寂しい地区にある。

がまだすドームでは、火砕流の速度やその被害状況についての体験ができ、火砕流や土石流の被害の状況の観察、災害後の復興の工事の技術部分の体験など、体験型の施設である点も前回紹介した施設とは異なる。噴火に伴う土砂の行き先として、有明海の沿岸を埋め立てて造成されたところである。

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がまだすドーム外観

災害の実態というのは新聞や映像だけでは理解が難しいが、土地の名前やその地理学的な要素についてのイメージが湧きにくいことによるものが多い。これを解決してくれるのが、以下の土地の模型にプロジェクションマッピングをしたものである。

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普賢岳周囲の模型

プロジェクションマッピングで領域ごとに起こった土石流や火砕流を観察できる

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消防団員のキャップと当時の記録

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定点周囲をジオラマとして当時の被災車両、カメラの三脚など被災物も展示している

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噴火から火砕流・土石流の発生を追うパネル展示

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マスコミで使用されていたビデオカメラ

みずなし本陣

平成の始まりとともに起こった大規模な災害で、土石流や火砕流、深江町、水無川などといったキーワードが毎日のように長崎発のニュースに載せられていた。ジオパークへの登録は2009年であり、この構想は1990年台後半には島原半島のあちこちで見られた。活動停止が宣言された1996年以降、初めて完成したのが、道の駅である「みずなし本陣」である。

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覆いがされ、保存される家屋も定まった様である

土石流被災家屋保存公園に隣接しており、一体で開発されていた。駐車スペースはみずなし本陣を利用し、徒歩にてアプローチ可能である。修学旅行での島原といえば25年前には、ここを訪れるのも定番であった。ただ、土石流被災家屋保存公園だけでは、土石流災害の大きさはわかるものの、前記事の大野木場小学校とセットで回ることで、火砕流と土石流の被害やその機序についての理解が深まる。

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土石流の重たい流れが家屋の地上部分を押しつぶしている

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土石流発生のメカニズムと書かれた立て看板

みずなし本陣のみでは土石流への理解は進むが、火砕流については難しいだろう

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野ざらしになり、草木も生えてくるようになった

1996年前後は茫漠とした雰囲気であったものだ

 

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