#dynamic_Nagasaki

Dynamic Nagasakiを見つめ直します。現在おっさんが意味なくちゃんぽん食べ歩いています。

いくつかの切り口から見る出島 その2 −情報とモノだけが行き交う世界−

 出島というところ

観光案内のような、特に何があるとかいうことにはこのブログでは触れない。歩いてみての感想をただ書きつけることにしている。前回は出島で見つけたジャワの人々がいかに暮らしているかを想像した。ジャカルタ郊外都市としての長崎市の姿に思いを馳せたところであった。

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出島の表通り

dynamic-nagasaki.hatenablog.com

 

Covid-19下の世界と長崎

海外との行き来にハードルがここまで高くなったのは、日本においては海外旅行自由化----年以来のことだろう。海外というと明治大正昭和を通して、欧州や米州は遠かったものの、海外領との行き来などは活発であり、現在では小さな港町にしか見えない口の津や唐津などでも外国船の行き来があったという。昭和初期、第二次大戦前まで、ここ長崎市からは日華連絡船として上海航路が華々しく、「下駄を突っかけて上海へ、羽織りを着て東京へ」と言われるほど、海外の方が、東京より近い存在で、壊れたテープレコーダーのようにそれを繰り返し、懐かしむ料亭の大おかっつぁまもいらっしゃるほどである。

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夕暮れの内外倶楽部
2019年末ごろよりどこか空気は不穏となり、Covid-19の流行が確認され、世界規模でのパンデミックとなり、2020年の春までには、国境を跨いでの、物流は維持されるものの、ヒトの往来が極端に制限/減少する事態になった。物流と交流は維持されているが、ヒトの往来が制限されていた状況は、案外身近なところにあった。出島を通した日欧関係であった。

長崎の出島と新地から見る世界

江戸時代を通して、在外施設は、対馬藩宗氏が管理する釜山の倭館のみで、海外に日本人が住むことがない時代でした。貿易港も制限され、長崎の出島を通しての日蘭貿易と新地を通しての日清貿易、対馬を通しての日朝貿易、松前を通しての北海道との貿易、薩摩を通しての琉球貿易であった。

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銅の目方を測る異人さん 作業をするのはジャワの人々
人の往来は、来日者は年にオランダ人数百人程度、唐人8000から9000人程度が長崎ではみられた。オランダ船は年に4−1隻、唐船は年に3−7隻(年1、2回)と、今の基準のようにトン数での入港が制限されていた。金額による制限もかけられ、次第に減少していった。日本から海外に向かう人はほぼ皆無で、日本国内は海外からの情報とモノだけが行き交う世界であった。
インターネットも郵便もない時代、オランダや清国の貿易商や商館員からの情報はそれぞれ、オランダ風説書、唐船風説書、別段風説書としてまとめられ、江戸での外交政策の立案に使われたと言う。オランダ風説書は商館員や商館長の証言をもとに作成されたとされ、個人の情報感度や世界の見方が反映されたのだろう。別段風説書はオランダのバタビア政庁がまとめたとする公式性の高い文書であり、オランダ政府筋の情報に近いものがあったはずだ。

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バタビアの政庁図
西欧はオランダ一国、明清の割と対外的には孤立傾向のあった中華国に偏る情報が入ってくるのみであっただろう。多くの立場を有する列強国家が凌ぎを削る欧州において、オランダからのみの偏った情報で事情を読み解くのは、英語メディアのみから東欧を読み解くようなものであり、どこまで正確に状況把握ができたのであろうか。英仏という欧州の大国でなく、フランス革命やナポレオンの侵攻、米国独立やベルギー独立などに揉まれたオランダという斜陽の国家がもたらす情報であるから、ある程度の中立性はあったとも考えらるが、まだ原文に当たっているわけではないのでここで論じることはできない。ナポレオン侵攻により、オランダは併合され東インド植民地も英国に占領された19世紀初頭には、オランダも国家としての生き残りには必死にならざるを得ない時期もあった。世界中でオランダ国旗が翻るのは出島だけであったというが、大抵の現代オランダ人はそんなハナシも知らずに居るものもある。

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以前はミッフィー氏が居たのだが、何が起きたのか、消えてしまった
幕府にとって、情報の裏付けや時局性(1年から2年遅れであった)はあまり重視されていなかった点は、ドラスティックな変化を見せる18世紀以降の欧州の政治・産業・文化に遅れをとることになっただろう。これが今でも尾を引いてるような、日本全体の情報精度・情報確度・情報感度の様なのである。

終わり

グローバル化が進んだ21世紀、ヒトモノカネハナシの動きは目まぐるしくなっていたところでの、Covid-19下の世界は急に江戸期の日本のような状況に世界中を押しやった。今後ワクチンの接種が進んでいけば、交易や産業、留学に関する渡航は増えていくだろうが、観光のための渡航はまだまだ先になりそうである。

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容易に柵を乗り越えて彼方側へ向かうのもまたネコである
 
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